AI生成コンテンツが増えすぎて、現実の声が薄れていく感覚

AI生成コンテンツが無数の画面にあふれる未来的な空間で、ひとりの人物が現実と情報の洪水のあいだに立ち尽くしている様子を描いたイメージ 🌧️ AI × 現実(ニュース・時事的考察)

最近、画面の中がとても静かだと感じる。
にぎやかなはずなのに、静かだ。

文章も、画像も、動画も、
どれも完成度が高い。
整っていて、わかりやすくて、
感情の起伏まで計算されている。

でも、その真ん中に立つと、
自分の声がどこにあるのかわからなくなる。


AIが作った文章は、
間違えない。
言い過ぎないし、傷つけない。
だいたい、ちょうどいいところに着地する。

ニュースも、解説も、まとめも、
すぐ理解できる形で差し出される。

それを読んでいると、
「考えなくてもいい」という安心感がある。

同時に、
「考えていたはずの感覚」が
どこかへ下がっていく。


現実の声は、もっと不器用だったはずだ。
言い直したり、
黙り込んだり、
途中で投げ出したり。

言葉にならない時間も含めて、
現実だった。

でも今は、
言葉になったものだけが
大量に流れてくる。

きれいに整えられた感情が、
次から次へと置かれていく。

その中で、
自分の中にある
曖昧で、名前のつかない感覚が
薄くなっていくのを感じる。


AI生成コンテンツが悪いわけじゃない。
むしろ、助けられている場面も多い。

疲れているとき、
何も考えたくないとき、
代わりに言葉を出してくれる存在は
確かにやさしい。

ただ、そのやさしさに慣れすぎると、
現実の声は、
少しずつ小さくなる。

誰かの震えた声や、
途中で止まった言葉や、
言葉にできなかった沈黙が、
ノイズとして処理されていく。


気づくと、
自分が何かを感じたとき、
すぐに「正しい言葉」を探してしまう。

それはもう、
自分の声じゃないかもしれない。

整っていない感情は、
投稿するには弱すぎて、
公開するには未完成で、
下書きのまま残される。

でも、本当は、
その下書きのほうが
現実に近かったりする。


AIが増えすぎたから
現実が消えたわけじゃない。

たぶん、
現実の声は、
最初から小さかった。

ただ今は、
聞き取る必要がなくなっただけだ。

画面を閉じたあと、
少しだけ静かになる時間がある。

そのときに残る、
言葉にならない感覚。

それがまだ残っているなら、
現実の声は、
完全には消えていない。

今日はそれを、
ここに置いておく。

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